相談屋の独り言(2002年)

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2002年12月24日 12:32

・態度を変えなければいけないのは悪いことをしている人?

 悪いことをしている人が態度を改めなければいけないことは、当たり前のことだと思います。悩みの原因となる人の態度が良いものになれば、悩みが自然と解決していくのも事実です。これは当たり前の常識です。しかし問題解決を考える時、それだけが全てではありません。

 私は、心理相談を受けていて、クライエントさんに対して、生活習慣や態度、人との接し方を変えてみてはどうかと提案することがありますが、中にはこの提案がどうしても納得いかないという人も出てきます。そして、「どうして私が変わらなければいけないのか、悪いのは私ではない。」、または逆に「分かりました。全ては私が悪いんですね。」と言ってくる人がいるんです。

 どちらも問題解決には、まず善悪を先に決め、悪い方が全面的に態度を改め、そうでない方は何もしなくとも良いという考え方、道徳的に、より悪い方だけが変わる事が問題解決の唯一の方法という考えからきています。そして中には、「どっちが悪いと思いますか?」と私に善悪の判断を迫る人もいます。

 私は、決してあなたの態度や考え方が悪いから変えろと言っている訳ではないのです。そして善悪の判断をするよりも「悩みを解決するにはどうすればいいか考えませんか?」と提案します。悩み解決をするには善悪の判断をしてからと考えている人には、私が何を言っているのか分からないこともありますが、私はこう例え話を続けるのです。

 「例えば、乱暴者のお子さんがいます。この子に暴力はいけないことだとしつけたり、暴れた時に体を抑えしかることも一つの問題解決になるのは確かです。しかし、その子の親や友達の態度、座りにくいイスの形などを変えることにより、その子の乱暴が収まることはあります。」と。そして、今あなたの悩みは、乱暴な子供を抑えること、自分の気持ちを切り替えること、これからどうして行くかなど、いろいろと考えていった方がいいと思いませんか?善悪にこだわり過ぎる事は、逆に悩みを大きくしてしまっている原因かもしれませんよと提案しています。

 6月27日に「ものさし」を書きましたが、善悪というものは「ものさし」の数だけ存在します。その無限にある善悪の価値観を考えるよりも、自分がしたいと思う希望の状態にもっていくには、何をするのが良いかと考えることが大切だと感じています。この「希望」をかなえようとする「目的」がいつの間にか唯一の「希望」だと勘違いしてしまうことも良くあることです。もう一度ゆっくり、本来のあなたの希望を考えてみませんか?
 

2002年11月29日 13:59

・休んでいるのに休めない。

 何か充実した活動の時間があれば、それを送るためにと休むことも充実するものです。それが仕事でも、遊びでも何か一つ自分が納得した時間が過ごせたならば、何もしない時間も生きてくるのです。逆も真なりで、上手く休める人は充実した活動の時間を過ごせます。

 しかし、そういう活動と休みのバランスが崩れると、自分は何のために生きているのだろうとか、こんなダラダラしていてはダメだなど、特にストレスがかかっていないはずのゆっくり休んでいる時間でも、自分が自分のストレスになり、それが溜まっていく状態になります。周りから見れば休んでいる時でも本人は休んでいる状態には無いのです。
 逆に充実した活動も、上手く休みが取れないために、意味が見出せなくなることもあります。


 例えば、ひきこもって周りから何も言われない常態になっても自分を責め続ける、今は普通の生活を送っていても過去の失敗や嫌な体験を繰り返し考えている、自分の仕事の悪い部分だけが見える状態などです。

 こんな時は、たとえ周りからゆっくり休めとか、気晴らしに何か趣味を持てと言われても、もうゆっくり休んでいるはず、趣味といっても楽しめるものなんか無いという考えになることが多いものです。

 充実した活動が先か、充実した休みが先か。その問題にたった一つの答えはありませんが、各々が考えていく必要がある大切な課題です。その人、その人に合ったバランスがあり、それぞれが認め合えるようサポートしていけたらと思っています。

2002年11月26日 15:40

ポジティブがいいの?

 ポジティブに考えられれば苦労は無い、そう出来れば悩みは無くなると思いがちですが、何でもそう考えることは決して良いことではない気がします。ポジティブに考えるというのは、それだけでは危険な感じがするのです。

 例えば、仕事が上手くいかなった時に、失敗は成功の素だから、くよくよすることは無い。と考えるのはポジティブな考え方です。この時に運が悪かっただけで、反省する部分はまったく無いと楽観的に思い、それが続くのならば、成功の素どころか、事態は悪い方向に進むでしょう。

 この時に自分の能力が無いためで、それは遺伝のせいだからどうすることも出来ないと考えるのはネガティブな考え方。この時ポジティブ、ネガティブまったく同じ結果が待っているのではないでしょうか。

 過去の結果は変えることは出来ません。いつまでもくよくよ考えるよりは、これで良かったとか、しょうがないと割り切ったほうがいいと感じます。そして、その結果は、次の結果の材料になるわけです。次の結果を良くするには、すでに出た結果に出来るだけ良い材料を混ぜて行くことを考える必要があります。出た結果のポジティブ、ネガティブにこだわるのではなく、次に少しでも良い結果を出すために、過去の良いところと悪いところを分析していくことが大切です。良かったことは良かったこと、そうで無い事はそうで無い事として受けとめられることが大切です。

 ところが、悪いことが繰り返し起こる。若しくは、過去の悪いところしか見えない状態であると、これからも悪いことしか起きないと思ってしまうことがあります。そういう時は、一つ一つ良かったこと、そうで無かったこと、良い材料を今の自分に加えて、良いことを体験すること、それぞれを繰り返し考え、感じる必要があるのです。

 もし、一人で何か引っかかることがあるのならば、起こったこと、感じたこと、思ったこと、その原因、どう受けとめると良いのかなどをノートなどに実際に書き出して見るといいかもしれません。

2002年11月1日 14:06

魚の背骨

 もともと海にいた魚(の祖先)には骨が無かったそうです。まだ脊椎動物が生まれる前ということです。けれど、そんな昔から生存競争というものはありました。

 そして、そこの生存競争に負けた弱者は川に逃げだしたのです。その魚が、大変だ、苦労をしていると考えたかどうかは分かりませんが、そう簡単には行かなかったと思います。

 しかし、それでも生きるために川に逃げる道を選んだ魚はある適応をしていくのです。川には海のようなミネラル分が無いため、簡単に補給することが出来ません。だから体に蓄積しておく必要が生じ、背骨が作られたそうです。

 その背骨が出来たため、体を良く動かせるようになり、海にもどった背骨がある魚は、無い魚より強者になった。そして背骨がある魚の方が主流になっていくということらしいのですが、海にもどった魚も、実は川の生存競争に負けた魚だったということです。

 魚は、他の魚に勝ちたくて強くなっていったわけではなく、生きるために適応していったものだと思います。弱点を克服して強くなるか、弱点はとりあえず置いておき、自分の出来ることをやっていく。今の自分の立場に対する方法や答えは一つではないと強く感じますし、弱い事じたい長所になるのかもしれませんね。

2002年10月26日 12:56

・自分を見つめてみませんか?

 普段生きていくのには何かしら着飾らなければいけないものです。それは、仮面をかぶっているとか、本当の自分を探すなどの言葉にも表れています。

 
その窮屈さを感じている人は多いと思いますが、普段の生活でありのままの自分を出すのはやはり怖いものです。自分には見たくない所があるとか、人間関係を崩してしまうのではないかと考えてしまいますよね。

 けれど、それを出し自分で見つめることは大切なことです。普段の何気ない考えや行動に無理をしていることも多く、それがストレスになり解消が上手く出来ないと心身や人間関係に影響が出てくるのは皆さんご存知のとおりです。


  いや自分はいつもさらけ出しているという人もいるかもしれませんが、そんな人ももう一度自分を見つめなおしてみませんか?そうしたら又違う自分が見つかるかもしれません。自分のことを考えることはとても大切なことです。本当の意味でそれが出来ないと、他の人を考えることも出来ないのですから。

 一人で考える方がいい時と、誰かに聴いてもらったほうがよい時があります。自分が落ち着いて考えられる方法が見つかるように私は応援しています。

2002年10月18日 16:38

・ストレスコントロール

 
ストレスという言葉は聞いたことが無い人はいないのではないかと思えるほど日常生活の中で、当たり前の言葉になっています。もともとストレスとは、金属に力をかけると曲がる状態のことだそうです。ちょっと曲がっただけならば元に戻れますがあまり曲がりすぎると元に戻らなかったり折れたりしてしまいます。心も同じことが言えます。

 今はストレスといったら、曲がる原因である外からの力(ストレッサー)のことも含めて使われています。会社で嫌なことがあって落ち込んだ時、落ち込んだ状態と、その原因の会社のこともストレスと呼ぶことが一般的になっています。「もう会社がストレスになっちゃって。」というように使われます。

 ストレスとは、ある程度の度を越さなければ生きていくのに必要なものです。それはまるで、塩を取りすぎると高血圧などになってしまいますが、まったく塩分を足らないと生きていけないのと似ています。

 では、度を越したストレスとならない様にするには如何すればいいのでしょうか。それ答えるのがストレスコントロールという考え方です。これには、原因となるストレス(ストレッサー)を軽減、もしくは無にすることと、自分がストレスに強くなる、もしくはかわしたりして上手く付き合う方法があります。前者は環境自体を変えることで、寒い時には暖房をかけたりし、嫌いな食べ物があれば食べず別の食べ物で補うなどです。後者は、寒さに耐えられるように体を鍛えたり厚着をしたり体を動かしたりし、嫌いな食べ物に徐々に慣れていき嫌いな食べ物を食べられるようにしていくということです。

 よく、ストレスが溜まりやすいのは、環境のせいだ、自分が弱いせいだと議論をしている掲示板を見かけますが、どちらも考えられますよというのが私の答えです。そして、原因を考えることも大切ですが目的を考えることはもっと大切です。寒い時に、この部屋が寒いからいけないのだ、いや寒さに耐えられないのがいけないのだと言い合っていても、いつまでも平行線です。寒いのが嫌だから暖かくなりたい。では、如何すればいいのか。部屋を暖めるのか、厚着をするのか、出来る方法を考えればいいのです。誰が、何が、悪いのかという犯人探しはもうやめにしませんか?

2002年10月2日 15:31

・猫は好きですか?

 
ある人が言いました。「猫は嫌い。」それを聞いた猫好きの人は、その人の言っていることがまったく分かりません。猫ほどかわいいものは無いのに、この人は生き物をかわいがることも出来ないのかと思っていました。「かわいいのに、どうして嫌いなの?」と聞いたところで、話になりません。しまいには、自分の猫好きを否定されているようで、その
人ともあまり話さなくなってしまいました。

 まさかと思うかもしれませんが、これは本当にあった話です。これに似たことは、多かれ少なかれ誰でも経験してい
るはずです。
 自分の好きな人が馬鹿にされたり、それが出身地だったり、会社や学校だったりです。サッカーの対戦で暴動が起こる
のも同じ気持ちからかもしれませんし、自分の意見を否定されることも同じです。

 人は、それぞれ何かに属しています。属していないと不安になることさえあるのです。そして、その属しているものを否定されると、自分自身が否定されたと思い、悲しんだり、怒ったりとなるのです。しかし、そういう感情が起こったとき、すぐに行動に移すのではなく、ちょっとだけ考えてみて下さい。どうして自分は怒ったり、悲しんだりしてい
るのかと。「自分の属しているもの=自分」では決して無いことを。「自分の意見=自分」でもないはずです。

 そしてもう一つ考えてみて下さい。相手がその一言を言ったのはどういう意味なのだろうかと。もしかしたら、まっ
たく自分の考えていることとは違うことかもしれません。

 猫嫌いの人はどうして嫌いと言ったのでしょうか?猫の全てが嫌い?ひっかかれた経験がある?大きい猫だけが嫌い?嫌いと思い込んでいるだけ?猫好きな人に嫌悪感がある?いろいろな事が考えられます。「いろいろな事が考えられるけれど、ただ想像をしているだけでは逆にストレスが溜まってマイナスになってしまうから。勇気を出して聞いてみたら。」一念発起で聞いてみたら、「玄関の前に糞をされたから、他の猫は好き。」だったそうです・・・かわいいのにどうしてと考えても話はかみ合わないはずでした。

 まったく関係ありませんが、私はきれいでかわいい猫も好きですが、たまに見かける不細工で痩せたかわいくない猫も好きです。泣き声も「にゃー」ではなく、「ぎにや〜」だったりします。だから、私は猫がかわいいから好きという訳ではないのかも知れません・・・。

2002年9月20日 21:31

・掲示板の質問より

おひさしぶりですが、つきです。
いや〜、浅井さんのレスって本当にためになります。
それになんか骨身にしみるな・・・。
何気ない言葉なのになんとなく自然さと安心感をもてる。。。どうやったらそういう風に自分の心を安定させながらアドバイスできるのですか?

それとマミィさんの書き込み読んでいて「こんなにも子供を理解しようとする母親っているんだな」って思いました。私とは正反対なのでそういう母親の姿が本当に羨ましくなってしまいました。迷うこともすばらしさも人としてすばらしいなっておもいました。

ところで(^^;)こないだある資格をとるためのHPで文句いっちゃったんです。
心理系の資格なのですが、なんか変にその仕事をたたえる人が多くて、自分の問題そっちのけ!人とのかかわりよりも心理学重視の発言の多いこと、多いこと。
「人のため」といいつつも私はすごく疑問をもってしまってそれでついつい「自分を見つめてみましたか?」「もう少し自分を分析した上で」などと偉そうにいってしまった。
それに対して専門、実務者の方は、多少の意義はありながらも同意してくれましたが、勉強を薦める学生の皆さんは「批判」「非難」と取ったようで「問いかけであって非難でも批判でもありません」と書くと、挙句の果てには「とにかく自分のことよりも資格をとるためのHPで勉強して資格を取る方が先決でしょ!」と言う始末。
それに対して専門家、実務者の方は「そういう考えはおかしい。どうして心理学を神格化する」とその人に対して意義、非難をする形になりました。ただ、私はあくまでも勉強中の人間なのでそれに対してコメントは書きませんでしたが・・・
なんか自分的には勉強がたりないのにそういうことを度外視して発言しちゃったようでちょっと考えてしまった。
でも、カウンセラーとか浅井さんのように人と関わるのに自分を別と考えるのは違うなって思ったのですが、やっぱり余計なお世話だったかな?
でも、自分を度外視していてカウンセラーになった時のクライアント同様カウンセラーだってつらいだろうにそれは考えないのかなって。
なんとなく素朴な疑問が私の場合、大事になるのはやはり自分が自分なりに整理できていないからかな?
浅井さん、こういう自分を見つめる、考えるのに良い方法はないでしょうか?
アドバイスください。


 
こんばんは、つきさん。お褒めに預かり恐縮しています。言われるほど安定はしてはいませんよ。相談によって、悲しかったり、つらかったり、楽しかったり、苦しかったりと。2,3分で回答しているように感じられるかもしれませんが、結構あれこれとね。

う〜ん、どんなやり取りか分かりませんので、ここで再現をします。
1リットルの水が飲みたいなあ」
1リットルじゃなく、1000ccじゃないのか?」
「いやいや、1kgの水だよ」
「何を言っているんだ、純水ではなくミネラルを含んでいるから水は0.9999リットルだよ」
「皆おかしい、そもそも水というものは・・・・」
「う〜、皆あってる気がするけど早く水が飲みたい」
こんな感じで、揚げ足の取り合いだったのかな?こういうやり取りはネットでは日常茶飯事のようです。それぞれの言っている論点の違いに気づかないままに、自分の正当性を証明するには相手を否定するという方法です。

誰でも、自分が行っていることは正しいと思いたいし、それが一番素晴らしいものだと思いたいのです。そこから一歩抜けるのはなかなか難しいですよね。こういう言い争いになった時は自分が一歩引いて、「では、君はどう考える?」と謝っちゃいましょう。そうすれば、その人の勉強したことを教えてもらえてよい勉強になりますから。議論に勝つ必要が無いときはさっさと負けちゃうことです。


 話が変わって、下から6行目に対しては、「カウンセラーはある程度は自分の心理的問題を解決もしくは制御しておかなければいけない」と思います。

そして最後、ずばりカウンセリングを受けることをお勧めします。教育分析とかスーパービジョンというやつです。浅井心理相談室でカウンセリングを受けなさい。なあんて、これも方法の一つでしかありません。あるお昼の番組風にやると、「自分を見つめる」の定番をお書きください。チャラチャラチャチャチャ!!
倫理学・哲学・宗教・武道・カウンセリング・・・手鏡・・となるでしょうか。

これ以外でも、習字でも、囲碁でも、職人、芸術家、何かしら達人と呼ばれる人は最終的には同じものを求めている気がします。道端の花や空の雲を見つめ自分を深く知る瞬間や、子供や動物から人間としての生き方を学ぶこともあるかもしれません。教材は何でもいいと思います。自分がよいと思うものや人と学んでいくことが出来ればそれに越したことはありませんね。

 教材は何でもいいのです、問題は自分の心構え。いつでも、何故?どうして?と考える癖をつけることです。それは自分のため?相手のため?何が正しいの?このタイミングでいいの?という具合にです。そしてそれをある程度のところまで考えたら、「まっ、いいか」と日常に戻れること。この二つが大切です。深く考えることはいいことですが、そのままそっちへ行ってしまったら、日常生活は送れません。考えのための考えになるのはつきさんは良しとはしませんよね。
 かなり言葉を飛ばして簡略化してしまったので、疑問のある人は遠慮なく掲示板に書き込んで下さい。

2002年9月17日 14:06

・知人の自慢話

 先日、知人との何気ない会話でのこと、星の見え方の話になりました。

 私 「東京より茨城の方が夜は明かりが少ないから、多く星が見えて    きれいだよ。」
 知人「うん、空気もきれいだからかな。」
 私 「それもあるかもね。あと、同じ場所でも目の良し悪しで見える
    星の数が違う。自分は目がいいほうだから結構見えるけど、君
    は目が悪いからかわいそうだね。」
 知人「確かに悪いけど、乱視だから一つの星が3つにも4つにも見える。だからいっぱい見えてきれい。どうだ羨ましいか。まいったか。」
 私 「うぅ、ぜんぜん羨ましくない。」

 この知人の乱視だから星がたくさん見えるという発言に、思わず笑ってしまいました。マイナスであるはずの乱視を、知人は私に自慢してきたのです。もちろん笑わせるためではありますが、弱点であるところを隠すどころか、むしろ積極的に出すことで、プラスと考えられる。ちょっとだけその知人を尊敬してしまいました。こう書くと、その知人に、
 「ちょっとだけか!!」と突っ込まれてしまいそうです。
 

2002年9月11日 16:41

不眠

   読売新聞の9月7日の記事に「安眠を求めて」というものがありました。そこで紹介されていた、国の研究班の発行した「睡眠障害の対応と治療ガイドライン」の「中核となるぐっすり眠るための十二の指針」を紹介します。

「@睡眠時間は人それぞれ。日中に出る眠気で困らなければ十分。
 A刺激物をさけ、眠る前には自分なりのリラックス法。
 B眠たくなってから床に就く。就寝時刻にこだわりすぎない。
 C同じ時刻に毎日起床。
 D光の利用でよい睡眠(目が覚めたら日光を取り入れ、夜は明るすぎない照明を)
 E規則正しい3度の食事。
 F昼寝をするなら15時前の20〜30分間。
 G眠りが浅いときは、むしろ積極的に遅寝・早起きに。
 H睡眠中の激しいイビキ・呼吸停止や足のぴくつき・むずむず感は要注意。
 I十分眠っていても日中の眠気が強いときは専門医に。
 J睡眠薬代わりの寝酒は不眠のもと。
 K睡眠薬は医師の指示で正しく使えば安全。」

 Gの眠りが浅いときは遅寝をするというのは普通盲点かもしれません。どうしても早く寝なくちゃと思いがちです。一言で不眠と言っても、その原因は様々です。不眠のためつらいと思ったら医師にかかることになりますが、「患者の話をあまり聞かずに、安易に睡眠薬を出す医師がいる。もっと患者と話し合って」と同記事中の医師の言葉です。患者側としても、どうしてこの薬が出るのか、服薬することによって何に効いて、そして副作用など気をつけることはあるのか等、納得のいく説明を受けるという心構えが必要です。そして、納得がいったのなら決められた量や時間などを守り服薬し、その途中経過も遠慮せずに医師と話し合っていくことが大切です。それにプラス、心理面でのアプローチが必要である場合は並行してそれを行うことも大切な要素です。

2002年9月5日

人を傷つけず生きること

 この題は、ある歌の出だしです。この後にあなたならどんな歌詞を続けますか?「自分はそう生きたい」とか、「それはすばらしい生き方」となるでしょうか。しかし、この歌の正解はこうです。「それは悲しいことだよね」どうしてでしょう?人を傷つけない生き方が悲しい?じゃ、傷つける生き方がすばらしい生き方なのか、なんて不思議なふざけた歌詞だろうかと思いますよね。

 そして次にはこう続きます。「心も触れ合えないままで 恋も夢もないさ」そういう事なんです。人とつながりがある時、傷つけてしまうこと自体は当たり前なのだということが前提になってます。それがない関係というのは、心が触れ合っていない状態、人と人との関係が無いか、ただ表面上の付き合いでしかないんだと言っているのです。

 人は傷つけあいながらも、それを乗り越え、そしてより分かり合っていく、とても辛い事かもしれませんが、そうすることが必要なんだと思います。もちろん傷つけずに人と触れ合う生き方をしたいとは誰も思っていることです。しかし、それは聖人君子といわれる人でも、無理な話だと私は思うのです。

 あなたは傷つきたくない、傷つけたくないと思った時、どうしますか?もう関わりをやめますか?それとも、さらに心に触れ合おうとしますか? あなたは、人を傷つけることが出来ると同時に、分かり合い、傷の痛みを癒す力を持っているはずです。よく思い出してください。そうでは無かったですか?そしてこれからも。

 そして、その歌はこういう歌詞で締めくくられます。「幻じゃないんだよ 二人がここにいることは」最後まで読んでくれて、ありがとう。

2002年9月2日 12:27

・ちょっとした用語を見ました

   ちょっとした本や雑誌を読んでいたら、次のような言葉があったのでご紹介します。

精神医療サバイバー・・・・・・・・・鍵と鉄格子に象徴される閉ざされた時代遅れの精神医療から、地域社会へ生き延びることができた生
              還者。
精神医療を拒否する反精神医学に進む人もいれば、逆に自分の体験を活かして精神医療を良く
              しようとしている人がいます

精神医療ユーザー・・・・・・・・・・・利用者
精神医療コンシューマー・・・・・障害者として保険や福祉のサービスを消費している人消費を経験したことのある人
チャレンジド・・・・・・・・・・・・・・・ハンディキャップに変わる言葉としてアメリカで使われるようになったもので、神から挑戦する使
              命を与えられた人を示す。

クライアント・・・・・・・・・・・・・・・精神医療及びそのほかのサービスの依頼人、利用者

 様々な用語があり混乱しそうですが、それぞれが意味する人はかなりの部分で重なっています。今までの経緯の受けとめ方やこれからの姿勢や考え方というものが、違いとしてこういう用語を生み出したのでしょう。精神分裂病が統合失調症に呼称変更の流れがあります。しかし、名称や分類で全てを決めてしまっては本末転倒になってしまいます。何が大切なのか、何が目的なのか、何が希望なのか、個人個人が考えることが、団結して行動することと同様に貴重なものであることを感じます。それぞれが認め合えるといいですね。

2002年8月27日 15:25

・どうしてそんなに買ってしまうの?

小冊子にもちょっと書いたのですが、ローン地獄とかカード破産という言葉を良く聞きます。しかし、自分の懐事情以上に物を買ってしまうとそれは問題です。


「どうして、返す当てがないほどの借金をしてまで買いたがるのか、気が知れない。」と周りから見ると思ってしまいます。けれど、実は本人もどうしてか理由は分からないことが多いのです。つまり、そんなものは自分とは無縁だと思う人ほど、この事態に陥りやすい人といえるかもしれません。

買い物をするとどこか心が落ち着く、ストレス解消になるという感覚は多くの人が感じているのではないでしょうか。
これは、何かもともとあった不快な気持ち(出来事)を、買い物をするという快感で誤魔化している状態と言えます。直接は関係ないけれど別の快感を得ることで、不快さを消すのではなく、覆い隠している状態です。
だから、それでも不快な気分が強く残った状態だと、際限なく快感の行動を重ねなければいけない状態になって行きます。そして、その内不快な経験は何だったのかも分からなくなり、ただ不安な気持ちだけ持ち続けてしまうのです。
(この時、不快な経験を別の経験と摩り替えてしまうこともよくあります)
そして度を越すと、快感の行動だったはずが、それ自体が不快を伴い始めます。こうなると悪循環を繰り返すばかりです。

不快の要因は、誰かの一言だったり、仕事であったり、ある出来事であったり様々です。それの代償行為としての快感の行動は、買い物だったり、パチンコだったり、食事だったり、電話だったり様々です。
それで楽しめているうちは、よいストレス解消法といえるでしょう。しかし、その域を超えてしまった時、苦痛だけが強くなり、原因自体をもう一度考え直す必要も出てきます。自分が一番分かっているようで実は違うところに原因がある場合は多いのです。

この時点で原因とは、忘れてしまった(忘れてしまいたいほど強い)不快な経験なので、もう一度考えるのは、とても苦痛を伴うことになります。実はこれが、カウンセリングの苦痛というものです。悪いところを切り取ってしまうというものではなく、それに立ち向かい、乗り越えることで、解決していこうというものなのです。一人ではとても難しいことなので、その苦痛を一緒に味わい、付き添っていくのがカウンセラーです。長い時間を必要とする場合もありますが、孤独に悩んでいるよりも、勇気を持って相談してみてください。問題を解決しようという意思があるのであれば、何かしら道が見つかるはずです。
 このような状態になる前に、軽いストレス解消法としてもカウンセリングは向いています。

2002年8月7日 14:21

11じゃなきゃだめ?

 ある人から、「1人で行かなければだめですか。」と聞かれました。基本的には11かなあと思ったのですが、今まで付き添いで、身内の方や保護者的な方ぐらいと考えていたのですが、こういった考え方があるのであれば、心理相談と言うか、グループワークと言うか、話し合いの時間を作ることも大切なのではないかと思いますので、知人や友人等で2〜4人での申し込みも受け付けます。何か自分の中に見つけられるお手伝いが出来れば良いと思っています。

2002/08/05(月) 12:01

空を見ると、すっかり夏の雲です。私は、風景の中で一番雲が好きですが、夏の青い空に浮かぶ白く厚い大きな雲は、その中でも5本の指に入るほど好きなんです。よく見てると動いてないようで動いている、気にしなければみんな同じようだけれど、一つ一つ大きさや形、色や動くスピードは様々です。みんな同じ方向に風で流されているようですが、まったく同じではなく、ちょっとづつ方向が違うし、形そのものも変わっていきます。
  そんなこと当たり前のようですが、普段意識しないと意外と忘れてしまうものです。ああ雲だと思うだけ。何故か自分の心を見ているようです。そう言えば忙しい時は、ぜんぜん気にすることもないのに、のんびりしている時はいくら見ていても飽きません。気になり出したらいくらでも引き付けられてしまいます。それも気持ちよく見られるか、見られないかも自分しだいのような気がします。出来ることなら、穏やかに、楽しく見ていたいものです。

2002/07/29(月) 19:57

病名って何だろう

 7月25日の読売新聞に「リストラされるわけにはいかない うつ病の果て 命たった39歳」と見出しがありその記事中に、「あまりにも大きなものを抱え込みすぎて、どうにもならなくなってしまった。うつ病と診断されたことがショックだった」と愛用のシステム手帳には、遺書代わりにそう走り書きしてあったという文章がありました。日本精神神経学会では、偏見をもたれがちという理由から「精神分裂病」という病名を、「統合失調症」に変更することを臨時評議会で議決し、厚生労働省にも病名の変更を要請するという記事が、同新聞に今月1日に掲載されました。
 私が受けた相談の中にも、自分の病気は治るのですか、という事を聞かれる方もかなりいらっしゃいました。

 それぞれの理由は分かります。けれど、私はそれぞれに共通して感じるのは、病名というレッテルを貼られることで、また新たな苦しみを受けてしまうということです。もともと、病状があるから苦しいはずが、病名があるから苦しいと逆転してしまっているのです。あなたにとって苦しいのは、病状ですか?病名ですか?

 確かに治療をするには、病名があったほうが便利です。分類をしたほうが科学的に治療にあたり易いのは確かでしょう。けれど病名とは、ただそれだけのはずです。「病名=病状」ではありません。病名が同じでも、人によって病状は様々です。ましてや、「病名=その人自身」ということはありえません。風邪をひいていても元気な方はいますし、手がなくても私よりずっとスポーツが上手な方もいるのが現実です。
 そして、健康な人が不健康な人よりもいつも幸せではないということです。病気であっても、人生を楽しんで過ごしている人を何人も私は知っています。生活を送る上で、楽しいかそうでないか、幸せかそうではないかは、たった一つや二つの要素で決まるわけではありません。決して、病名などというものに左右されて良いはずはありません。皆さんがよりよい生活を遅れることを願っています。

2002/07/12(金) 16:56

星 空

去年までは東京であまり星が見られなかったけれど、
今は茨城でたくさんの星を見ることが出来ます。
ぜんぜん星のことは詳しくないので、星座で分かるのがカシオペアと北斗七星ぐらい。
月ぐらいは分かりますけど・・・。

それでもきれいだなあと見ているのですが、こうして今、目に見えている星が実際に今存在しているとは限らないそうです。
すでに何万年前かに、その星は消滅してしまっていて、それでも何万年もかけて光が地球に届き、
今の星空が見えている、今まさに星の集まりと見えているものは、
奇跡とよべるものだそうです。

それと同じぐらいに、自分が今知り合っている人達とのめぐり合わせは、
奇跡と呼べるのではないでしょうか。
同じ時代に生まれ、いろいろなかたちでコミュニケーションをとっている。
出来ることならば、綺麗な星座のようにいきたいものです。
なかなか、上手くいかないけれど・・・。

でも、もしかしたら、今悩んでいることは、見方をちょっと変えるだけで、
すでに消滅している星のようなものもあるかも知れません。
実際にそこにあるのではなく、ただ自分がそう見ているだけかもしれないのです。
もしかしたら、その悩みというものもあるからこそ、綺麗な星座として成り立っているのかもしれないのです。

星空を見てどう思うかは、ちょっとした気持ちや考え方、感じ方の切り替えなのかもしれません。
もし、そこに確実に存在する悩みでも,これからの人生にプラスになっていくこともあるかも知れません。
焦らずゆっくり自分の星をつなげていけると良いですね。

2002/07/10(水) 10:31

予知能力があればなあ・・・

将来のことって不安ですよねえ。ただでさえ不安なのに、この不景気どうにかならないものかなんて考えちゃいます。先のことが分かる力が身につけば良いのになって考えたことは誰でもあるのではないでしょうか。予知能力、とても便利ですばらしい能力のような気がします。これさえあれば、どんな不安もたちどころに消えてしまいそう。もし私がそれを手に入れたら、何をするか考えました。

格闘家
   相手の動きが分かるから、相手の一歩先の動きをすれば・・・いやいや、いくら相手の動きを読めたところで、鍛えていない自分がごつい人たちにかなうはずがない。
 その名もずばり予知能力者
   その力を使って、テレビにでも出て有名人になって・・・うう、ただの見せ物になってしまう。
天気予報士
   何の勉強をしなくてもぴたりと明日の天気が分かる・・・でも資格テストに受からないとだめかも。

他にもいろいろ考えてみたけれど、だんだん出来ることが小さくなっていく。先のことが見える力さえあれば、何の努力も必要なく楽に暮らせると思ったのに。ちょっと心配になってきました。あれ?不安がなくなるはずだったのに。おかしい、私は先のことをこうなれば良いなとか、こうなって行くと面白いなとか、想像することが楽しいのに、それを捨ててまで身につけるメリットが思いつかない。そもそも、そんなものないのに、どうしてこんなに不安になっちゃうんだろう。

 でも、こんな能力なんてなくても誰もが先をある程度予測して動いているものです。何かを始めるとき、ある程度計画を立ててから行動に移します。まったくその瞬間、瞬間だけ考えて、先のことは考えていないと言う人がいるかもしれませんが、直感的にも考えているものです。

 計画をきちんと立ててから行動するように言われたことはあると思います。それには必要なのは、今現在を正確に把握する力と、それをどうやって組み立てていくかという判断力だと思います。それにプラスして、計画を立てるとき、成功した場合と失敗した場合を考えておくことです。これは、結構大事。それぞれの対処法を持っていれば、先が正確に読めなくても、正確な計画は立てられます。そうすれば失敗したって、たいしたことはないです。それに対処すればいいのだし、失敗は成功の素なんていうし。失敗しても、成功するまで挑戦すればいいのです。失敗だってそれが糧になれば、もっと大きくなれそう。あれ?少し不安じゃなくなってきたかもしれませんね。

2002/07/02(火) 16:17

気分転換、ストレス解消にカウンセリング

 仕事の気分転換に、スポーツクラブに通っている、部屋で音楽を聴く、マッサージをしてもらってきた、etc・・・。と言うと、「趣味があって良いな。」とか、「楽しめることがあってうらやましい。」とか、プラスのイメージで言われることが多いと思いますが、「心理相談を受けていいるんだ。」と言うと、何故かマイナスのイメージに捉えられてしまいがちです。

 もちろん、プライバシーは厳守されるべきことです。しかし、運動をしたり、音楽を聞いたり、マッサージをすることと同じ気持ちで心理相談を受けてもいいではないですか。自分に向き合う時間、リラックスをする時間、日ごろのストレスを発散する時間と考えれば何も心理相談だけが特別ではありません。特に、自分に向き合う時間はどんな人にも必要ですが、なかなか作れないのは誰もが感じていることです。

 何かしら自分の中で線を引いてしまいがちですが、いつの日か、「へえ、カウンセリングに通っているの?健康に気を使っているんだね。」と軽い気持ちで言われる様に意識が変わっていけばいいなと思っていますし、そうなって行くことと思います。。

2002/06/27(木) 15:21

ものさし

 「価値観の違い」ってよく言いますよね。こういう言葉が出るときはなぜかけんかをするようなシチュエーションが多い様です。あなたにとって価値観って何ですか?価値観の違いってなんですか?いくら仲のよい状態だって、価値観がまったく同じということはないのに、同じ価値観だと感じてしまっています。似たもの同士だから、気が合うというのは大体みな共通の考え方、感じ方ですね。

「価値観=その人そのもの」と普段考えていますよね。その人の考え方は、その人のたくさん、もう無限といえるほどの、ちょっとした価値観(私は普段「ものさし」と言っています)が集まって出来上がってます。例えば、赤が好きだったり、海が好きだったり、食事前には手を洗わなくては気持ち悪かったり、待ち合わせには5分前には行く癖があったり・・・。

こういう一つ一つの価値観が、無限に集まってその人の考え方や行動が生まれてきています。価値観が違うと普段考えているのは、その中のたった一つのものさしが合わなかっただけではありませんか? そう考えれば、最初から「まったく同じ人間がいない=まったく同じ価値観の人はいない」から、相手を受け入れる・受け入れない、仲が良い・悪いに、大きな意味の価値観の違いはあまり関係ないようです。

そんなことを言ったって、やっぱり価値観が違うのだと思いますよね。相手の価値観が自分と合わないから、不仲なのだと。本当にそうですか?いや、そうなのかもしれませんね。でも、こう考えてみてください。相手を受け入れられないのは、自分のものさしを相手に押し付けているからだと。自分が優しくしているのだから、相手は自分に優しくしなくてはいけない、こっちがしてあげたのだから相手もしてくれなくてはいけない、自分の好き嫌いはみんなも同じように好き嫌い、自分の常識はみんなの常識。

どうですか、多かれ少なかれ誰でも知らず知らずのうちに陥っている考え方です。別にいけないことではないかもしれませんが、自分が苦しくなってはいませんか?そうだとしたらもったいないことです。

もう少しだけ、いろいろなものさしを見てみましょう。一つのものさしでその人は判断できないことはもう分かっているはず。そうしたら、自分もいろいろなものさしを持っていることに気づくはず。ちょっとした、ものさしの違い、いや、まったく逆のものさしを持っていても、相手が自分を否定しているわけでもないし、自分が相手を否定する材料にもならなくなります。今からでも、きっと遅くはないはずですよ。逆のものさしを無理に認めることを勧めているわけではありません。ただ、少しだけ気にならなくなれば、気持ちがとても楽になるはずです。

2002/06/26(水) 11:23

ありがとうございます

 この度は、おかげ様で無事、浅井心理相談室を立ち上げることが出来ました。中にはご祝儀や花をお送りいただ方も居て、恐縮しています。PHSで無料相談を始めて早4年!相談をしている方たちに逆に応援される形で始められたようなものです。そのほかにも、このホームページ作成や、宣伝用の広告の作成、開業に当たっての注意や助言など、応援をしてくれた方々、すべての方にこの場を持ってお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。今まで以上に悩んでいる方たちのお力になれるよう出来るだけのことをして行きたいと思っています。これからも叱咤激励をよろしくお願いします。