相談屋の独り言(2003年)

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2003年11月1日

・言葉にこだわらないで

 会話で成り立つカウンセリングをしている私がこの様に書くのは変に感じると思います。電話で相談しているときに言葉を聞かないで出来るわけは無いのだし、ましてや掲示板やメールでの相談では、その言葉を文字にしたものだから言葉にこだわらずに何を頼りに返答するのかということになります。私も、ボランティアで無料電話相談を始めた当初と、メール相談を始めた当初は、かなり言葉そのものにこだわっていました。しかし、こだわればこだわるほど、言葉では全てを表現できないという事実を知ることが出来たのです。言葉で出た表現の部分だけを取り扱うことが、いかに相手の理屈や、ましてや心の部分を無視してしまうことに繋がることになるんだということを感じるようになりました。

 言葉にこだわってしまう(言葉尻を取るというでしょうか)事は、単なる揚げ足取りになりかねませんし、単なる売り言葉に買い言葉になりかねません。もちろん言葉を大切にする事はとても大事なことなのですが、それが全てではありません。同じようなことで言い争いになったり、後になって考えると、どうしてあの時にあんなことを言ってしまったのだろうと思う事はありませんか?(ある考え方ではこれをゲームと言うのですがそれは置いておいて)これは、言葉にこだわりすぎてしまったときに起こりやすいようです。

 じゃ、どの様な心構えがいいかということになります。それは、相手が言った(書いた)言葉の背景、その人の性格を考えるといいのですが、小説を読む人は、その行間を読むという言葉がしっくり来るかもしれません。若い世代の人は、空気を読むという言葉がしっくり来るでしょうか。でも、なんだか曖昧で難しいですね。そこで、まず始めのステップとして、相手から出た言葉の「理由」と「目的」を考えてみるというのはいかがでしょう。自分を良く見てもらいたいから、周りの悪口を言う人や、自分に注目してもらいたいから大きなことを言う人。相手を思う気持ちが上手く表現できずに気の利かない言葉が出てしまう人。これらを感じることが出来ると、きっと、今までとは別に見方が出来るはずです。

 それにプラスして、自分が言う言葉が、自分が伝えたいことという目的に合った言葉になっているかと言うことにも、ちょっとだけ気をつけてみてください。それだけでかなりコミュニケーションというものが違ってくるはずです。もちろん、失敗したらごめんと謝ることを忘れずに。

2003年9月28日

・統計と個人と

 例えば1万人に一人死ぬ病気であったり、例えばある地区の犯罪率が何%だったり、例えば進学率、就職率が高かったり低かったり、そういう統計的なものを一人一人の個人に当てはめて、私たちは考えてしまう習慣があるようです。しかし良く考えてみてください。コインを投げたとき、表も裏も出る確立が50%であると言っても、1回だけ投げた場合、実際に出た表(裏)は、100%表(裏)なのであって、半分が表で半分が裏であるわけではありません。
 それと同じように、1万人に一人死ぬ病気にかかったとしても、その人個人にとっては、体の1万分の一の部分が死んで、あとの1万分の9,999の部分が生きていると言うことにはならないのです。

 あるカテゴリーやグループに属しているからと言って、そのグループの性質がその個人の性質とはいえないのです。例えば平均点数50点の成績を持つあるクラスには一人も50点を取った生徒がいないことさえあります。

 歳をとっているから、若いから、あの学校を出たから、あの職業についているから、あの病気にかかっているから、あの都道府県に住んでいるから、スポーツをしているから、漫画が好きだから、派手な格好をしているから、動物が好きだから、いつも怖い顔をしているから、昔がああだったから、言葉づかいが荒いから、太っているから、痩せているから、血液型が何型だから・・・・・

 それぞれが属しているグループの性質や単なる自分の持つ印象を、その人個人の性質と決め付けてその人を見る癖はついていませんか?ある程度、目安としてみる事は仕方のないことではありますが、そうと決め付けてしまい、その人自身を見る目が曇ってしまっていませんか?中には、自分がそこに属しているからといって、自分自身をこうだと決め付けている人もいるようですよ。
 個人が集まった集団はまた違う性質を持ってくるものです。集団を見るときも先入観を持って目が曇ってしまうこともあるのですが、それ以上に個人を見るときは曇ってしまいやすいようです。全体的な性質は性質として、個人の性格は性格として、それぞれを見直してみてください。きっと、そう単純な言葉で人が表現できないということが分かるはずです。

2003年8月19日

・その人の言葉で、その人の気持ちで

 福祉施設で指導員として働いている時のことです。そのフロアのまとめ役のような役割でそこにいた私は、あと二人いた指導員に細かなことを任せて、全体の流れを見ていたんです。そして、初老の利用者さんに対して、その若い指導員が(と言っても私はもっと若かったりします)、「○○さん、ピンクのかごを取って。」と頼んだのですが、その利用者さんは、あたふたして赤いかごを持ったり、青いかごを持ったりしています。「違う、違う、ピンクのかご。」どうも話がかみ合っていないようでした。そんな会話が1分ほど続いていたので(作業指導中の一分って長いものです)、私が「○○さん、桃色のかごのことだよ。」と一言。「ああ、これね。」と次の作業に移ることが出来たのでした。その後の3時の休憩時間は、黄緑色は若草色、ピーナツは南京豆、等々の話題で盛り上がりました。

 これは世代によって同じものでも呼び方が違うという例でしたが、同じ言葉でもその時やその人との関係性の中で意味合いが違ってくることがあります。例えば、馬鹿といっても本当に相手をバカにしているときに使う場合もあれば、親しみを込めて冗談で使うこともあります。言葉だけにこだわって、行き違いがあって喧嘩にいたる場合もあります。相手の言葉どおりに動いたはずが失敗に至ることもあります。言葉は心の全てを表現するツールにはなりえません。相手がどういう意味でその言葉を使っているかも少しだけ考える余裕があると、少しだけ視野が広がるものだと思います。

2003年8月3日

・久しぶりの独り言

 こんにちは、3ヶ月ぶりの独り言です。実生活でいつもぶつぶつ言っている独り言はやめなきゃと思いつつ、ここでの独り言は増やして行きたいと考えているのですが・・・ま、長い目で見てやってください。この独り言に対しての応援の声をいただき、心強く思っています。ありがとうございます。
 何回かここにも書いたかなと思いますが、私は雲を眺めるのがとても好きなんです。ここのところ長い梅雨で暗い空が多く、黒い雲を眺める日々でした。それを見るのもそれはそれで、好きではあるのですが、梅雨が明けて久しぶりの青い空。白く厚い雲がゆっくりと流れています。夏の大きな雲はいいものです。しかし、それを見てゆっくりのんびりと考えられるときもあれば、焦りのような気持ちが沸いてくるときもあります。勝手に自分で考えて、自分の気持ちを投影しているだけなのですが、まるで雲が何かを私に語りかけている様に感じます。最近、ちょっとした落ち込むこともあり、雲に「お前が悪いんだ。」と、責められるように感じることもありました。いや、今でもかな。
 けれど、せめてあの雲には嫌われないようにしようとふと思うのでした。

2003年5月1日

・歌舞伎町の歩きかた

 といっても、お店の紹介や風土の紹介ではなく、文字通りのあの人ごみの中の歩き方です。ボランティアで歌舞伎町に行くのですが、私は茨城の田舎者なので、人ごみが余り得意ではなく、よく人にぶつかりそうになっていました。その時は近くの狭い範囲にしか目が配れない状態だったようで、ある程度スムーズに歩けるようになった今は、かなり遠く(25mぐらいでしょうか)を見て周り全体をなんとなく見ている状態です。前は、自分に近づいてくる人を見ては逆にぶつかりそうになっていたものです。もうそれはバスケットのマンツーマンディフェンスのように。もうあの人ごみも怖くありません。もう人にぶつからないかどうかでビクビクスル必要はないぞと、悠々と歩いていたら、足元の小さな段差でこけてしまいました。う〜ん、自分はまだまだダメだと笑ってしまいます。
 何事にも、遠くを見ること、全体を見ること、そして、足元を見ることが大切なのですね。 

2003年4月25日

・イメージ

 京浜東北と言う電車はご存知でしょうか?私はなぜか、なんとなくなんですがこの電車のスピードが速いというイメージがあったんです。10年ぐらい前からでしょうか、別に意味はないのに・・・、とにかくなんとなく速いようなイメージがあったんです。どうしてだろうと考えたところで、自分自身でも分からない。実際、東京駅の前後で山手線と追いかけっこをするように走るのですが、各駅停車であれば次の駅に着くのは変わらないんです。何度も乗っていますので、自分の目でも確認していますし、山手線と比べても速いはずはないのは間違いない事実なのですが、それでもイメージの中でどうしても京浜東北は早いものと言う感じがする。


 ・・・で、ある時テレビか何かで聞こえてきたもので・・・「京浜急行」・・・うっ!!これだっ!!なんと自分自身でも気づかなかった、心の中での無意識での連想ゲーム。京浜東北と聞くと、自分で知らないうちに京浜急行を連想し、急行=速いと感じる。今更ながらに感じる自分のバカさ加減。自分の心の構造に対して情けないやら悲しいやら・・・しかも、それに気づいたにもかかわらず、いまだに京浜東北は早いと言うイメージに取り付かれているのです。あっ、水色が風のイメージで速いと感じているかも?って、何のフォローにもなってないんですが・・・


 今回は私のバカ話ですが、これと同じような、無意識の連想ゲームを誰もがしています。そして、それによって苦しんでいる人もいるかもしれません。そんなときは一人で悩まずに、誰かに相談することはとても大切なことです。

2003年3月11日

・かっこ悪く生きてみませんか?

  私は公務員の時に、そこの草野球チームに属していました。私はそこに入る前に、中学と高校で野球部に入っていたので、そこの中ではまあまあ活躍していたんです。周りは今まで野球をあまりやっていなかった人もいるので当たり前のことで、私は、過去の練習だけで草野球をやっていたようなものでした。そのくせ、自分が試合で思うようなバッティングや守備ができないと、すぐあきらめると言うかふてくされるような時があり、周りに気を使わせてしまっていたこともあると思います。その時自分の頭にあったのは、格好良くプレーをすることだったと思います。さらっとヒットを打って、スマートに守備をこなすという。だから、バッティングでフライにしてしまったら、あ〜あと思って、一塁まで全力で走らないんです。もしかしたら相手がエラーをするかもしれないなんて思わないし関係なかったんですね。ミスがないことが格好がいいことなんだと思っていたんですね。

 そうこうしている内にある試合のときに、自分の後輩が三振をしたのですがキャッチャーがボールを後逸したんです。振り逃げと言うやつです。その後輩は、太っていて走るのもあまり早くありません。当然誰もが一塁に送球されてアウトになるものだと思いました。それがキャッチャーの送球が一塁に走っているその後輩の後頭部に当たり、結果はセーフ。ベンチからも笑いが出るし、その後輩も恥ずかしそうに苦笑いでした。お世辞にも格好がいい場面ではありません。しかし、何故かその時私はその後輩が格好よく見えたんですね。一塁まで全力で走るその姿がとても格好よく見えたんです。それと同時に、ちょっとエラーをしたら、いや、エラーをしそうになっただけであきらめてプレーしていた自分が恥ずかしく感じたものでした。10年近くたった今でも自分に戒めとして覚えている経験です。

 野球を知らない人にとってはちょっと分かり難い例かもしれませんが、失敗しそうであれば今、出来そうな事もあきらめてしまう事は日常よくあることです。また、失敗した事があると、もうどうせだめだと考えてしまいがちです。出来れば、きれいに格好よく生きて行きたいのは全ての人が思っていることで、「エラーがあったらその時点で試合放棄してしまえ」という考え方の人も多く見受けられます。しかし、格好悪いエラーをしたかどうかは、その試合に勝てるかどうか、その試合を楽しめるかどうかとは別のものです。人生のスコアブックのエラーは消すことは出来ないかもしれないけれど、それは人生と言う試合に勝てなくなったとか、ましてや試合を楽しむことが出来なくなったわけではありません。あなたのエラーは、自分のせいだったのか周りのせいなのかは分かりませんが、それ自体がドンマイ、ドンマイ。周りを恨んでも、自分を責めても今のプレーには悪影響が出るばかり。次のボールにくらいつけるなら喰らい付く、今一塁まで全力疾走が出来るなら、格好悪くてもするべきだと思います。ベンチに戻って休んでいるのなら、次のプレーに移るまでは体力を回復するために休む必要もあるでしょう。今出来ることをする、私はそれがとても大切で格好いいことに感じるのです。今あなたが格好悪いと言う生き方も、けっして悪い生き方じゃないかもしれません。今あなたに出来ないことは無限に存在しますが、出来ることもそれに近いぐらいあるはずです。それを探して見るのも悪くないでしょう?

2003年3月3日

・有害物質?

  これは地球上に大量に存在し、しかも普段何の注意も払わずに扱われている、ある物質についての話である。
  その物質は大量に摂取すると体がしびれ、意識が遠くなる。それにもかかわらず気が動転すると、その物質をもっと欲しいという心理になり、さらにその物質を摂取しようとしてしまい、死を覚悟すると言う事例もあるらしい。
 また、ある火事の現場にその物質があったため、家は全焼してしまった。ある専門家によれば、その物質さえそこに無ければ火事にさえならなかったと断言し、残念な表情を見せていた。
 その物質は、鉄材を腐食する原因であるなど、人体だけでなく環境にも多大な害を及ぼす物質である。
 さらに、その物質から構成されるある液体が体に吸収されることにより身体に不調を訴える者は毎年数えきれないほどの人数に達する。特に夏場では事故により大量に飲むことが原因で死亡する者さえいるのである。その液体は工場等から、大量に川や海に流されているのが現状である。しかし、この現実を把握しているにもかかわらず、日本政府はなんらこの物質に対して規制する動きは見せない。この現実について、あなたは怒りを感じないだろうか?
















 どうでしょうか?この文章を読むと、こんな危険なものに対して政府で何とかしてよと言う気にならないでしょうか?
 実は、この物質と液体の正体は酸素と水です。最初の文章はパニックで過呼吸になると酸素濃度が高くなると言うことを表し、次は酸素が無ければ火はつかないということ。鉄もさびさせ、酸素から出来ている水は、飲みすぎると体調不良になるし、水難事故も水が無ければ起こらないのは当たり前ですよね。途中まで読んで分かった人もいるかもしれませんが、酸素や水と分かれば誰もそんな物質なんて無くしてしまえとは思わないでしょう。さらに政府に何とかしろとはね。

 さて、どうしてこの様なことを書いたかと言うと、絶対に必要な酸素や水でさえ、考え方、文章の書き方に偏りがあれば、とても怖いもので、追放運動さえをしてしまおうと思えてくるのです。もしこれが今の自分の環境や、自分の人生に対してこれと同じような偏った考え方をしていたとしたら・・・。それだけでも、自分の存在意義に疑問がわくのは当然なことになってしまいます。もしこれが他人に向いたら・・・。その対象の存在意義は無くなってしまうのです。もちろん、何の偏りもない考え方などあり得ないことですが、悩みや苦しみがあるとき、まずこの偏りがないかを考えるのも脱出の鍵になるかもしれません。

2003年3月3日

・ヤマアラシのジレンマ

 これは以前、談話室の掲示板に投稿したものです。

「ヤマアラシのジレンマ
たぶん知っている人も多いと思うのですが、一応おさらいをすると、二匹のヤマアラシが寒いので寄り添う。とげが刺さって痛いから離れると今度は寒い。とげが刺さらず寒くない距離を見つけていくという寓話です。メンタル系の掲示板が荒れやすいのはこういうことなのかなあといつも思います。自分を守ろうとする気持ちが相手を刺してしまうのですね。お前が寒いのが嫌なら、まずお前がとげをたたんで痛いのを我慢して、こっちに来いと。こっちは痛いぐらいなら寒い方がいいやっ、てね。両方が思っちゃうんですよ。
(それぞれそういうシチュエーションになるにはパターンがあるはずです。老若男女、どんな性格の人にも関係なくけんかを売る人はそういないと思いますよ)
それは薄いガラスの器がぶつかり合うとひびが入ってしまうことに似ています。相手の気持ちを考えずに攻撃してしまう人も、実はこのとげとガラスの気持ちをどう使って距離をとっていいか試行錯誤している結果なんだと思うのです。それぞれが上手い距離のとり方、クッションのように滑らかに相手に接することが出来るまで、必要ならば私が、立派なクッションにはなれませんが、くしゃっと丸めた古新聞になって、暖められたらクッションになれたらと思っています。皆さんも協力お願いしますね。」

 自分を守るために相手を攻撃すると言う方法は、さらに自分が攻撃されるリスクがあります。相手を攻撃すると、相手に自分を攻撃するためのエネルギーをわざわざ与えているようなものです。かといって何も言わずに自分だけが耐えることは、無理があります。自分の意見も相手に伝えて、相手の気持ちも汲み取る。それを同時に考えていくことが大切です。

2003年2月17日

・同じ経験をした人が分かり合えると言う落とし穴

 同じ体験を自分がしていると、その人に共感しやすくなりますよね。ニュースで自分と同じような境遇の人に、「う〜ん、分かる、分かる」と相槌を打ったり、同じ趣味を持つ人に対して親近感を持ったりします。同じ目的のために団結して立ち向かう時も、お互い分かり合えていると言う一体感を感じているものです。

 その考え方は、同じ体験をしていないと分かり合えないと言う感覚につながっていきます。子供を育てたこともないくせにとか、健康な人に病気の自分の気持ちが分かるはずがないと言う気持ちです。(この気持ちはあながち間違っているとばかりいえないので、相談を受けている者のとしてはつらいところではあり、理解しようと努力するとしか言えないのですが・・・。)
 そして時には、同じ体験をしていないと敵とさえ感じる事もあります。学生は同じ格好や言葉、行動をとることを好みますが、一人だけ違うところがあるといじめの対象になったり、スポーツなどで地区や国対抗で相手チームを異常に敵対視してしまうと言うことも同じところに住んでいないと考えればそれにあたるでしょう。

 じゃあ、同じ体験をして同じ目的を持てば分かり合えるし、仲間でいられるのかと言うことですが、それ自体が難しいでしょう。ある目的を持った集団が分裂してしまうことや、同じ悩みを打ち明けている間に大喧嘩するようなことが実際に起こるわけです。まったく同じ体験や考え方と言うもの自体があり得ないと言うことなんですね。24時間隣にいて過ごして同じ事をしたとしても、まったく同じと言うことはあり得ないわけです。同じ体験をしたと共感しやすいところから入り、まったく同じ考えを持っているとの錯覚を起こし、それ以上の相互理解を怠ってしまうと、そんなこと言わなくても分かり合えていたはずなのにと言う結果が待つことになります。長年連れ添っている夫婦や家族など、同じ時間や空間を共有する人ほど、「言わなくても分かってるはずでしょ?」と言う気持ちになりやすいものです。

 ちょっとした行き違いでも大喧嘩でも、この様な同じ経験を持っているかどうかで、同じ感覚や同じ考え方を持っているかどうか、共感できるかどうかまでを判断してしまっていることから起こることがあります。それらが違っていても、まったく逆でも、相互理解をしようとの努力があれば、乗り越えることが出来るはずです。敵、見方の判断を早合点して出さず、じっくり見方を増やしてみてはどうでしょうか。

2003年2月4日 20:19

・人生の専門家

 人生の専門家と聞いてどのような人を思い浮かべるでしょうか。心理相談室のホームページだからカウンセラーを想像する?弁護士?占い師?風水師?長生きをしている人だろうか?人それぞれの考えがあると思います。しかし、あなたの人生の専門家は、あなた自身であることを忘れないでください。あなたの人生において、あなた以上の専門家は存在しません。

 あなたは人生に迷った時、いろいろな人に相談をするでしょう。自分で判断がつかない時は、誰かに判断をしてもらいたい、そんな時もあるでしょう。しかしあなたの人生において、あなたは間違いなく主人公です。脇役たちは、情報提供や手助けをする事もあるかもしれませんが、主人公が自分自身の力で物語を作っていくことが、楽しい物語を作っていくことには必要だと、あなたは思いませんか?

2003年2月1日 13:43

・大切なきみへ

 私は古新聞のようになりたい
 この世に一つしかない壊れやすいコップのようなあなたを
 きれいなリボンのように飾ってあげることは出来ないけれど
 明日の日常が始まるまで つつんで傷つくことから守ってあげられるから

 私は古新聞のようになりたい
 雨に降られぬれてしまった靴のようなあなたのこころを
 立派な洗剤のようにきれいに洗ってあげられないけれど
 明日の朝までに 湿気を吸って履けるようにしてあげられるから

 私は古新聞のようになりたい
 太い木切れのように固く燃えにくくなってしまったあなたのこころを
 ガスやオイルのように一気に燃え上がらせることは出来ないけれど
 自分が火種になって ゆっくり燃える手伝いが出来るから

 私は古新聞のようになりたい
 毎朝、眠そうなあなたを
 今朝の新聞のように新鮮で活気のある話題で押し出してあげることは出来ないけれど
 一年に一回大掃除の時に手を止めて読んでほのぼのとした気持ちになれるから
 
 古新聞はいつまでも一緒にはいられないけれど
 その時はきれいなティッシュと交換して下さい
 そしていつものあなたの生活のそばにあるそれを大切に

 そう思ったときから
 部屋の隅でまとめられた 押入れやたんすに敷かれた
 あの古新聞たちが私の目標になった
 
 

2003年1月28日 15:08

・ものの見え方

 探し物をしていると、何故か一度探したところからものが見つかったと言う経験は無いでしょうか。この前、車のキーを探していたら、つい今まで間違いなく見ていたところにありました。私の車のキーは、黒っぽいキーホルダーにつけているのですが、そのキーホルダーはさっきまではそこに無かったはずなのに・・・。う〜ん、とそこで自分の記憶をたどってみました。さっき何気なくいつもあると思うところにキーホルダーが無いから別のところを・・・、ん??ああそういえば、キーホルダーがあるべきところに黒いものを確かに自分は見ていたのです。がしかし、自分はそれを名刺入れと認識していたのです。色や質感は似ているのですが、キーホルダーの方が丸みがあるので間違うはずは無いと思っていたのですが、いつもより真上から見ていたためにそれに気づかなかったのです。
 確実に目に入っていたのにも関わらず、見過ごしていることは今まで、数えきれない程あったのだろうなあとしばし動きが止まってしまいました。探し物をする時は、いろいろな所を探すことも大切だけれど、一つずつ丁寧に探すことも大切なんだと実感するのでした。

2003年1月21日 18:53

・口癖

 誰でもその人特有の口癖と言うものがあります。1月7日の後半にも繋がることですが、気分が落ち込んでいる時と、はつらつとしている時では違う口癖を使っているはずです。それを考えてみると、落ち込んでいるときは、「〜はできない」等の否定の言葉が多いようです。逆にはつらつとしている時は、「〜をして行こう」等と言い切る肯定の言葉が多くなります。これは個人だけではなく、年代や学校のクラス、会社の部署、家族等でもあります。

 たかが口癖なのですが、それだけでも、否定的な言葉が多いと、自分自身にその問題を乗り越える力があるにもかかわらず、それを見ないようになってしまい、悪循環に陥っていることが結構あるのです。

 まるで、自転車を運転している時に障害物を避けようと思った時、避けようと思えば思うほど、その障害物を見てしまい障害物にぶつかってしまうことに似ています。こんな時は、平らな道の方を走ろうとそっちを見て走ると、難なく通り過ぎることができるのです。

 普段の悩みや困難を避けたり、乗り越えたりするのはとても難しいことかもしれませんが、自分の口癖に気づき、変えることはそれほど難しいことではありません。否定的な言葉から、自分の希望を表す口癖に変えて見ましょう。これだけでも、ずっと気持ちが楽になり、今まで見えなかったものが見えることがありますよ。

2003年1月7日 21:08

・船は水よりも軽いから水に浮く

 こう聞いたら、あなたはどう思いますか。一瞬そんなはずは無い、船の方が重いと感じませんか。金属の塊と、コップやなべに入った水とを比較している感覚です。飛行機が空を飛ぶはずが無いという感覚も似ているかもしれません。(こっちは、飛行機が空気より軽いから飛ぶわけじゃないですが)
 船は骨組みともいえる金属の部分だけで船と呼ぶのではなく、その間にある何も無い空間(空気といってもいいのでしょうか)を含めて船ということ。つまり、何も無い、存在を忘れていた空気の部分を含めた船が、同じ大きさの水よりも軽いから浮くことになります。
 ここまで考えてもやっぱり感覚的には、水よりも船の方が重い気がします。

 これぐらい人間の感覚は事実とは一致しないものです。この感覚(感じ方)とは、過去の経験が作り上げたものです。毎日の経験が事実を見る目を曇らせているということだと思います。経験とは、世の中の一部でしかありません。人は、その些細な経験でこれから起こることを予想し生きています。そして、それで凝り固まってしまうと、今起こっていることも、過去の経験に縛られてしまい、事実を事実と見られず、それ以上新しい見方が出来なくなってしまいます。あたかも、経験したこと意外は事実ではないのだと。実は存在を忘れている部分、感じられていない部分はとても大切だと言うことに気が付くのはとても難しいことです。

 今まで嫌な経験しかしてきていないと感じている人は、これからも嫌なことしか起こらないと思うでしょうし、今まで、何の失敗もしてこなかった人は、これから挫折を味わうことがあることなんてとても信じられません。過去に同じような場面があったとしても、それは「同じよう」であって、「同じ」ではありません。「同じよう」な結果が待っている可能性は高いですが、「同じ」結果は待っていません。そして、その過去の経験を生かすことが出来るのならば、同じような事に「良い要素」をプラスして、良い結果に結びつけることも考えられるのです。皆さんは、経験に縛られるのではなく、経験を生かしていけると良いですね。