エンパワメント

戻  る   TOPへ

 これも社会福祉の用語です。あまり聞き慣れないもので、たぶん福祉系の人間も、「う〜ん、聞いたことあるけど〜。」となってしまうかもしれないですね。しか〜し、結構これは侮れない言葉で、福祉に限らず全てのサービスに関するもの、人に関わることには大事な考え方ではないかと思います。これは、一言で言うと援助をする時は援助を受ける側がもともと持っている力を使ってもらえるような援助をするということなんですね。もともと人やその集団にはいろいろな力があるわけですが、それが何らかの失敗なり、周りの影響なり、考えすぎなり何か妨げになるもののせいで、悩んでいる上に、さらに元々持っている自分の力さえ自分で自覚できない状態になってしまうものです。新しく知識や技術などの能力を身につけることも大切ですが、まずは持った力を生かすほうがずっと効率もいいし、自然なはず。新しい能力を身につけるにもその力をうまく使った方がよいはずです。

 しかし、援助する側が自分には自分のやり方があるし、利用者は何かしら不都合があって援助を求めているのだから、今までのことは良いことも悪いことと一緒に忘れて、一から援助側のやり方に従いなさいと言うやり方がまかり通ってきたわけです。その方が援助者としては効率もよいし、多数の人に援助が出来る。利用者も自分に自信がなくなっているところで専門家に援助を申し込むのだから、援助者の判断に全て任せてしまいたい気持ちになってしまうのです。その結果、利用者の主体性がなくなり、さらに自立に問題が生じることになります。

 自分がこのエンパワメント的なサービスを受けられるかどうかを担う部分もあります。援助者がエンパワメントをまったく行わない人であっても、自分で自分のもっている力を最大限使う努力をすれば、自立に向かうことも出来るのです。必要以上に人に頼ってしまうことは、けっして自分のためにもなりません。
 例えば、いつも利用しているスーパー倒産してしまい、そのスーパーで食べ物が購入できなくなってしまったとしましょう。その時友人に、自分の家に食事に来れば良いと言われ、その友人の言葉に甘えることとします。しかし例え友人がずっと通ってもいいよと言っても、一生食事のために友人宅に通うわけには行かないわけですが、自分では他に食事をする方法と言うか、食材を買う場所が分からないし探す術を知らない。

 その時あなたはどうするか?友人がもう来ないでと言うまで、あそこに別のスーパーがあるじゃないと言うまで、通い続けますか?
 そうなる前に、あなた自身にスーパーまで歩いていける力があるなら、友人と話す能力があるのならその力を自覚し、友人に「別のスーパーはないかなあ?」と聞いてもいいでしょう。「何か別に食事をとる方法はないかなあ?」と聞いてもいいでしょう。
 もし、通信販売で食材を買いそろえることが出来るのなら、そうしてもいいですし、裏庭を耕して野菜を栽培したって良いのです。それらの力をまず自分で自覚していくことが大切です。

 逆にあなたが援助者の側に立った時にも、相手の力をまず生かすことを考えてみて下さい。そして、相手(個人でも集団でも)が自身の能力に気づくような援助を考えてみて下さい。時に、与え過ぎることは奪うことに繋がることを知る必要があります。逆に言えば、頼り過ぎることは元々持っている自分の能力を失っていくことに繋がるのです。自立すると言うことは、孤独に生きていくことではなく支えあって生きていくことです。それには、それぞれが自分の力を自覚し、相手の力の認めていく必要があります。無能で何も出来ない人なんていないのですから。

戻  る   TOPへ