医学モデル・生活モデル

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 あまり聞きなれない言葉だと思いますが、福祉の場面でよく使われる言葉です。でも、あんまり実際の福祉サービスの場面で、「それは医学モデルだ。」とか「やっぱり生活モデルで考えていこう。」なんて使ってるわけじゃありませんが、あくまで教科書的というか、気持ちの持ち方にです。

 簡単に言うと、医学モデルとは医学的に患者自身の病状を重視する考え方、まあ、病気を治せという考え方ですね。それだけでは足りないだろうと考えられてきたのが生活モデルで、基盤はエコロジー(生態学。自然を汚さないということだけがエコロジーじゃないんです)で、人間と環境をつながりがあるものとして考えるもの。つまり家族やコミュニティ、職場や学校の一部として、その人をそれらとの相互関係として捕らえていく考えなんです。

 医学モデルを反省し生活モデルが考えられてきたということで、心身の病気を治す以外にも大切なことがあって、専門家が対応する必要も出てくるだろうという考え方なんでしょう。専門家に頼らずに済むのであればそれに越したことはありませんが、それだけでは足りないと思った場合は利用できるものが増えてきたわけです。もし医師に医学的な面だけで、もう治療の必要は無いからと冷たく言われたら、「先生、生活モデルって知ってますか?」と聞いてみると良いかもしれませんね(嫌われちゃうかもしれないけど・・・)。ま、そうけんか腰になるのではなく、治療という意味ではここまでかもしれませんが、実際には、「生活(例えば職業訓練など)に困っているから、どこかの援助サービスを受けることは出来ませんか?」と聞いて見るのが良いと思いますよ。

 精神保健福祉の場面でも、病状が安定しているのかとか、施設側の援助計画が進んでいるのかが優先されて、本人の気持ち(希望)に沿っていないということが間々あります。本人も援助者に対し、自分のために一生懸命やってくれているから自分の意見を言うのは申し訳ない、サービスとはこんなもんなんだとそれ以上のことを要求することを意識的、無意識的に抑え込んでしまっていることがあるんですね。もちろん、援助者の方にもサービスの限界がありますが、何処が限界なのか話し合わなければ分からないことだし、それが限界だと分かれば別のサービスを受けられるところを併用して利用していけばいいのです。かといって、あまり情報が多すぎるというのもどれを選んでいいか分からずに悩んじゃうもんですが。
(あるカレー屋さんに行ったら、ご飯の量やルーの辛さなど10回ぐらいの質問攻めにあったことがあります。カレーを食べるにもこんなことがあるのだから、医療や福祉を選ぶのは大変だなあと思います。ケアマネージャさんご苦労様。)

 ある一つの問題に対し一つの解決策だけでなく、出来るだけ多くの選択肢を持つことは、安定した生活をおくのにとても大切なことです。例えば、お腹がすいたときに、自分で料理をする、スーパーで惣菜を買って来てご飯は自分で炊く、コンビニで弁当を買ってくる、カレーの辛さを選ぶ(もういいって)等、いろいろな選択肢があったほうが、スムーズに生活するには都合がいいのです。体を動かしたいと言ったって、1ヶ所で決められた時間にしか出来ないのと、時間の選択が自分で出来るのでは気分的に違ってきますし、走るだけでも、自分ひとりで走るのか、スポーツジムに行けるのか、公的機関が使えるのかを知っているのではずいぶん違ってきますよね。医療や福祉とは関係なくても普段の生活にも当てはまる考え方です。しかし悩んで追い詰められてしまうと、何の選択肢も無く、自分は何も出来ないと思い込んでしまうんですね。ま、それはまたの機会に。

 生活の中では、病気というのは一つの要素にしか過ぎません。乱暴に言ってしまえば、病気を持っていようが、けがをしていようが、そのほかの要素が問題なければ楽しい生活が送れることだってあります。
 一つだけにこだわらず、全体的に考えることはどんな時でも大切なことですね。
 皆さんは、いろいろな選択肢を持っていますか?

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