ストレス

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 ストレスが溜まってイライラしたり、落ち込んだりいろいろと問題のもとになるストレス。もともとは金属が曲がるその状態のことを指していて、心理的にも内外の刺激に対する適応反応をストレスと言っていました。その刺激自体のことはストレッサーと呼ぶのですが(例えば暑い寒いとか、嫌な事があったなど)その刺激自体も一般的にはストレスと呼んでますよね。「もう、あのハゲ親父は私にとっては超ストレス〜。」ってな具合に。

 このストレス、ショック期→反ショック期→抵抗期→疲憊期という様な時期があります。ストレッサーにより今までの心身のバランスが崩れて、それを元の状態に戻そうとする(ホメオスタシス)、それが元の状態でないところでバランスが取れてしまい、ついには・・・ということです。それぞれの期間に移ったり、同時に起こったり、正常な状態に戻ったり等を常に繰り返しているんですね。

 この正常に戻そうとする反応も原因も一緒にストレスと普段は呼んでいるし、どちらも無くなれば良いのにと思っているのが普通なんじゃないかと思います。病気になって熱が出るのは誰でも嫌だし、たんすに足の小指をぶつけた痛みなんて何であるのかって思いますよね。しかし発熱や痛みという症状は、体を守るために必要な機能です。痛みが無いと、けがをしているのに気づかず、けがが広がり重症になる可能性がありますし、発熱も、ウイルスなどの撃退するのに必要な反応です(熱が上がりすぎれば体力が落ちたり、さらに上がって血液が固まり死んでしまうことも考えられますので、時には解熱剤も必要なわけですが。)。小指だって、たいしたこと無いのにいつまでも痛かったら別のことに気が向けられませんよね。マッサージ、マッサージ。(う〜ん、たとえにシリアスさが無いかな?)ストレッサーだって、何もなければ何も感じない、何も考えない状態になってしまいます。
ここでいえる事は、@ストレッサー対策が必要Aストレス自体は無くてはならないB過剰なストレスは別の障害をもたらす、ということです。
 一口にストレスが無くなればいいと思っているけれど、対処した方が良いのは、ストレッサーと過剰な部分のストレスとなります。


 まず@ですが、まずはこのストレッサーが自分にとっては何なのかを探す必要があります。これが分かっているようで結構分かっていないものなんです。一回これだと思ったら、そこから目が離れなくなってしまうこともあります。ただ挨拶をしないから悪かった人間関係の問題が、遺伝のせいや過去の自分の育てられ方がまずかったというところに目がいってしまい、なかなか前に進まないことは良くあることです。

 では、ストレッサーがまったく無くなった状態は(まあ、あり得ないですが)理想かというとそうでもないんですね。これは全ての刺激がなくなるという事ですから。退屈な時間を過ごすことが人にとって一番つらいことなんです。目を閉じ、耳をふさぎ、ただじっとしていることは、いつまでも耐えられるものではありません。仕事が忙しい時だけではなく、倉庫番や窓際族にされ何も仕事を回してもらえない事が苦痛で会社を辞める人もいますし、森田療法の臥褥期は寝ているだけなのですが、わざわざ退屈を紛らわしてはいけないと規則で決まっているのは、寝ているだけでは気を紛らわす何か(鼻歌とかストレッチとか)をしてしまうという良い例だと思います。ある程度の刺激は生きていくのに必要なわけです。

 さらに付け加えれば、より強くというか活動の範囲を広めて生きていこうとする場合は、より多くのストレッサーをわざとかける必要があります。スポーツ選手が練習をするのもそうですし、インフルエンザの予防接種を受けるのも良い例です。私が前務めていた研究所で無塵棟というものがあって、名前の通り埃が極端に少なくなっている施設なんですが、そこにいると、風邪をひきやすくなったようだと言っている研究者もいました(もちろんまったく別の目的の研究であるため、裏づけがあるわけじゃありませんけれど)。ある意味カウンセリングは問題の山を越える時に、自分の見たくないところも見ていくということを、普段より多くかける作業をするという側面もあります。


 次にAです。ここまで書けば分かるように、ストレッサーがまったく無くなるはずもないし、無くなってもまずいのであれば、それに対する反応であるストレスは無くなってはまずいことになります。適度のストレスは、生きていくうえで必要なものだということなのですが、その刺激自体の多少や強弱があるのと同時に、人によっての受けとめ方や反応が違ってきます。暑さ寒さに強い人弱い人、逆境に強い人弱い人は確実にいるわけです。
心理的な刺激に対しても疲憊期にいたる前に、いろいろな症状が心身に出てくるのはいうまでもありません。例えば、大勢がいる場所で発表しなければいけない。とても緊張して、手に汗をかき、心臓もドキドキ、呼吸も速くという場面は想像しやすいでしょう。

 もともと手に汗をかくのは、手の滑り止めの役目を果たしすため、木を登るにしても地面を走るにしても、とても大切な機能でした。心臓がドキドキするのも、呼吸が速くなるのも、すばやく動くためです。ところが発表の場面で敵から逃げるため走るわけでもなければ、食べ物を確保するために木に登るわけでもない。このアンバランスから、この心臓のドキドキをどうしようと意識すればするほど、早く動くイメージで意識してしまうため、おさまるどころか早くなっていきます。このドキドキを収める方法はいろいろなものがあるかと思いますが、その前にこの状態をそのままで受け止める気持ち、ストレッサーとストレスを知るメーターの役目として、心の痛みの目盛りとして役に立てられるぐらいの気持ちを持って欲しいんです。(ある程度の緊張はあった方が上手く行くものです。)このドキドキに過剰に気持ちを持っていってしまうことが問題の場合だってあるのです。必要以上の解熱剤は、風邪の直りを遅くしますし、必要以上の保護は、立ち直りの邪魔になるわけです。Aの状態のときにこの様な対策は逆効果なのです。


 そして、そのメーターが振り切れてしまうことがB。過剰な反応はどうしたら良いのかということになりますが、熱が出すぎた時の解熱剤、自分の気持ちが整理できなくなった時のカウンセリング等がイメージしやすいでしょうか。ただ、このストレスが過剰なものか正常なのかという判断基準が難しいんですね。キッチリした線引きはもちろん出来ないですし、人の感じ方によってもまた違ってきます。ストレッサーとストレスに対応するという考え方(ストレスコントロール、前者をストレスマネージメント後者をストレスコーピングと言うことがあります。)が大切なのです。繰り返しになりますが、ストレス自体がSOSを出しているサインであって、そこばかりを見ていても仕方がないということを知っておいてください。火災報知器の音を気にするよりも火を消すことが大切ですよね。ただ、火災報知器の音が大きすぎて、火を消すのに邪魔な時はまずは火災報知器の音を切る必要もあります。心理的なストレスで夜眠れなくなっている時は、それが何のサインなのかと探っていくよりもまず、薬を飲んででも寝たほうが良い時だってあるのです。この両面が並行して存在することは忘れてはいけません。


 前出の発表をする時の緊張状態の上に失敗を繰り返し経験したら、また緊張して失敗するのではないかと考えた(予期不安)だけでもドキドキしちゃう。だから、その場を避けてしまい、やりたいことまで出来なくなっちゃう。繰り返しでなくても、一つの大きな経験のせいで、普段の生活が困難になってしまうこともあります。これは以外かもしれませんが、誰でも大なり小なり抱えているものです。どんな人でも経験に縛られているといえます(生きていくためにある程度は必要ということです)。トラウマとかPTSDというものはそれが重い状態、まあ、こんな分類は精神科医や心理学者に任せておけば良いことですが、私たちが普段の生活で重視しなければいけないのは、そういう定義づけではなく、何処までが自分で対処が出来るのか、何処からが専門家に協力を仰ぐのかということでしょう。出来れば魚を料理して食べたいから魚屋へ行く、いや今日は自分で釣って来るぐらいの軽い気持ちで相談できればいいのですが、そういう相談すると言う行動自体がまだまだ難しい問題なのが現状なんでしょうね。

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